PRODUCTION
NOTE

※本テキストはストーリーの展開に触れる記述を
含みますのでご鑑賞後にお読みください。

原作小説の世界をそのままに、
いかに映画化するか

『夜明けのすべて』映画化の企画がスタートしたのは2021年春。瀬尾まいこの小説「夜明けのすべて」を原作に、当時連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』で共演していた松村北斗と上白石萌音の出演が内定した。監督を打診された三宅唱は、新作『ケイコ 目を澄ませて』の編集作業中だったが、原作を読みすぐに快諾。正式に映画化がスタートした。
WOWOWオリジナルドラマ「杉咲花の撮休」で共同脚本を手がけた三宅と和田清人は、どうすれば小説の印象を変えずに映像として立ち上げられるのか、相談しながら脚本化作業を進めていった。原作を読み込むうち、やがて二つの柱が浮かび上がる。これは働くことについての映画であり、現実に生きづらさを抱える人たちがユーモアや人とのつながりによってそれを乗り越えていく物語になるだろう。この二つの柱を軸に、いくつもの変更点を加えながら脚本がつくられていった。
脚本があらかたできた時点で、三宅監督は主演の松村北斗と上白石萌音と直接会い、それぞれの考えを話し合うことに。すでにパニック障害について書かれた本を読み込んでいた松村には、発作シーンを演じるうえで、安全面に気を配り慎重に撮影したいという監督の思いが伝えられた。また、元々瀬尾まいこの小説の大ファンだった上白石とは、小説と映画との相違点についてじっくりと相談。主演二人の意見を取り入れながら、最終的な脚本が完成した。

前半の山場となる、
山添のパニック発作の場面

一年以上にわたる準備期間を経て、2022年11月某日、クランクイン。スタッフには、撮影監督の月永雄太、録音の川井崇満、衣裳の篠塚奈美、ヘアメイクの望月志穂美、編集の大川景子など、三宅の前作『ケイコ 目を澄ませて』と同じ顔が多く並ぶ。照明の秋山恵二郎、音楽のHi’Specも三宅組の常連だ。16ミリでの撮影という点も前作と同じ。ただし三宅監督は「前作とはまったく別の新しいことを試してみたかった」と語る。「ストイックにショットをつくりこんでいった前作と違い、今回は事前に決め込みすぎず、その日その日の俳優の状態や天気にも臨機応変に対応できる、ある種の懐の深さをもって臨みたいと思っていました」。
栗田科学での社員たちのやりとり、山添と藤沢が自宅で過ごす様子などを撮り重ねていきながら、クランクインから一週間後、ついに映画前半での山場となるシーンの撮影が始まった。栗田科学の事務所で山添がパニック発作を起こす場面だ。シリアスな展開のため、普段は和やかな現場にもどこか緊迫した雰囲気が漂う。
山添が事務所で発作を起こし、それに気づいた社員たちが彼を外に連れ出すまで。三宅監督は、時間をかけ、目線やタイミングなどを俳優たちと相談しながら細かい段取りをつけていく。現場には医療指導の担当者が入り、発作を演じることで松村本人の心身に不調が出ないか、注意深く見守っている。入念な準備を終え、「本番入ります!」と声がかかった瞬間、ぴりりとした緊張感が場を覆う。1カット目、一発でOK。松村の迫真の演技に、栗田社長役の光石研も「芝居だと思っていても、心配になっちゃうよなあ」と思わずつぶやく。3カットすべての撮影が終わると、スタッフ、キャストにほっとしたように笑顔が戻る。

栗田科学という場を
出現させるために

舞台となる町周辺は坂道の多い場所にしたいという監督の意図から、栗田科学と山添、藤沢が住む家は東京の大田区馬込あたりに設定された。がらんとした貸事務所から栗田科学を出現させたのは、『愛がなんだ』をはじめ今泉力哉作品を多く手がけてきた、禪洲幸久率いる美術チーム。事務所のあちこちに自社商品や壁の貼り紙が貼られ、遊び心あふれる装飾が施された。「こんな会社があるなら絶対に行きたいな、と思うくらい、あの場に漂う空気感が本当に大好きでした」(上白石)。
監督がこだわったのは、事務所の隣にある休憩室。ここは本来社長室として使われていたが、和夫の性格上、ふだんは他の社員と同じように事務所で作業をしているため、いつのまにか休憩室になっていた、というのが、監督たちがつくりあげた設定だ。作業場と事務所のちょうど中間地点にぽつりと浮かんだこの場所は、栗田科学の社員たちの憩いの場であり、ときには、ドキュメンタリーを撮影しに来た放送部の中学生たちに編集室として使われることになる。

緊張のなかで迎えた、
一発本番の散髪シーン

11月下旬。日中は道での会話シーンを撮り、夜には、山添の家で藤沢が彼の髪を切るという、もうひとつの山場の場面が待っている。
日が暮れたあと、山添のアパートで準備が始まる。この日のために伸ばしていた松村の髪を上白石が実際に切るため、本番では絶対に失敗できない。まずは部屋のなかで三宅監督と松村、上白石が細かく段取りをしながら、セリフのやりとりに不自然さがないか、何度も相談を重ねていく。テストを何度かしたあと、ついに本番。狭い部屋には最小限のスタッフが残り、他は隣の部屋でモニターを覗き込みながら待機している。
静まり返る部屋のなかに、ジャキッ、ジョキジョキ、とハサミの音が大きく響く。「あ」という藤沢の不安げな声に「え、大丈夫ですか?」とすぐさま答える山添。二人のコミカルなやりとりがスムーズに進み、笑い転げる山添を映したまま「カット!」。笑いの止まらない二人に「最高だね」と三宅監督も満面の笑みで答える。この日のためにマネキンを使って何度も練習をしたという上白石は、「完成した映画を見たら、自分が演じたのを忘れるくらい最高におもしろいシーンになっていました」と回想。松村も「あの場面を機に、二人の関係がぐっと大きく変わったような気がした」と語る。

俳優と監督との対話

三宅組の現場はつねに和気藹々としていて、とにかく会話が途切れない。松村は、撮影中の雰囲気を次のように回想する。「撮影中は、カメラやマイクがどこにあるのかまったく気にならず、本当にただ二人きりで喋っているような感覚で会話シーンを撮っていました。かすかに聞こえる16ミリカメラの回る音もごく自然に聞こえて、これほど撮られていることを意識せずにいられる現場は初めてでした」。
上白石も、現場での空気感を楽しげに語る。「三宅監督や松村さんとはいつもいろんな話をしていました。映画とは関係ない話をしてゲラゲラ笑いあったり、かと思えば、これから演じるシーンについて新しいアイディアが生まれたり。会話から生まれたものがたくさんある現場でした」。
もちろん楽しいだけでなく、芝居について真剣に話しこむ場面も度々見られた。12月某日、PMSのためヨガ教室で怒りを爆発させてしまった藤沢が、いつのまにか会社に来てしまう場面。山添と一緒に車の窓を拭いたあと、二人は夜の事務所で暖をとりながら、互いの抱える病気について気の置けない会話を交わす。撮影前、三宅監督と松村は真剣に会話を重ねていた。
「このやりとりだと、二人の間に恋愛的な要素が出てきてしまうのでは」と率直な疑問をぶつける松村を、三宅監督は「二人の間にあるのはあくまで恋愛とは違うもの。それは見ている人にも伝わると思う」と安心させる。日が落ち、外で照明チームが大掛かりな装置を用意するなか、室内では監督と俳優たちの演技をめぐる会話が静かに続いていく。

寒さのなかで撮影された、
移動式プラネタリウム

小説では、山添と藤沢が働くのは建築資材や金物を扱う「栗田金属」だったが、映画では、科学工作玩具や理科実験用機材の製作・販売・修理を請け負う「栗田科学」に変更され、プラネタリウムという要素が新たに登場する。
12月某日、撮影中盤を過ぎた頃、あきる野市の小宮ふるさと自然体験学校で、移動式プラネタリウムの撮影が行われた。体育館内に貼られたドーム型のテントのなかに座り、夜空を見上げながら藤沢のガイドを聞く人々。大勢のエキストラが参加し、撮影は朝早くからスタート。テント内では、プラネタリウムの光を表すために、照明チームがさまざまな仕掛けを施していく。体育館の中での撮影は寒さとの戦いとなり、各自防寒対策をとりながら、藤沢の声によってみなが「夜明け」へと導かれていく。
三宅監督は、こうしたシーンを撮影しながら主演二人の「声」の力を確信し、脚本にはなかったナレーションを冒頭と最後に入れることを思いついたという。「映画をつくるときはいつも、そこで鳴っているさまざまな音によって観客の五感がぐっと開けていくことを目指していますが、今回はもう山添くんと藤沢さんがそれぞれに朗読する声があれば大丈夫、と思えた。それくらい二人の声が素晴らしかったので」(三宅)。

最高の光を捉え、
いよいよクランクアップ

撮影終盤、PMSのため会社を早退した藤沢が、部屋でひとりだるそうにしている場面の撮影。三宅監督から「こういうとき、自分だったらどこでどういう体勢でいたい?」と質問がとび、上白石がクッションを抱えてソファにうずくまることを提案。現場での対話が、脚本をさらに豊かに肉付けしていく。
続いて、藤沢の家に、自転車に乗った山添が携帯電話と原稿を届けにくる。扉を介した何気ないやりとりのなかに、少しずつ二人のこれから歩む道筋が見えてくる大事な局面だ。この日は朝から曇り空だったが、藤沢がベランダに出る芝居を撮ろうとしたとき、さっと太陽の光が差し込み「あ、今の光、もう一回欲しい!」と監督が声をあげる。だが空はあっというまに雲に覆われ、撮影隊はもう一度晴れ間がくるのを待つことに。刻々と時間が過ぎるなか、『すずめの戸締まり』で宗像草太の声を演じた松村がアパートの下で呪文のようなものを唱えながら晴れを祈り始め、一堂はわっと盛り上がる。しかしなかなか晴れ間はやってこない。残念そうにしながらも、気持ちを切り替えこの場面の撮影は終了。山添が自転車に乗って駆けていくシーンは、後日撮影することになった。しかし映画の撮影はつねに自然現象に振り回されるが、その不自由な環境が、ときに作り手の意思を超えた何かを呼び寄せる。日にちを延ばしたおかげで、自転車でのシーンは最高に美しい光のなかで映すことができたのだ。「最後は本当に奇跡のような美しい光が差し込んできました。山添くんが持っている何かが作用したんでしょうね」(三宅)。
12月某日、ついにクランクアップ。一ヶ月以上にわたる撮影が終了した。ここからは編集作業が始まる。

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